こんにちは、財布布団に一目惚れして秒速で購入した宮丸(@miyamarusaifu)です。
検索窓に「恵比寿」と入れると、続きの候補はランチ、ラーメン、居酒屋、カフェ。東京の街の名前ばかりで、神様は一度も出てきません。
神様のえびすを調べようとすると、もうひとつ迷う所があります。兵庫の西宮神社は、公式サイトでこう書いていました。「えびす」という御神名は、日本の神話や神々の系譜には記されていない。
本当だろうか、と思って古事記の原文を探しました。國學院大學の古事記ビューアーで、上巻45段の校訂本文から「夷」「戎」「恵比」を拾うと、引っかかったのは「夷」の1か所だけ。それも「夷振(ひなぶり)」という歌の曲名で、神の名前ではありませんでした。

えびす様、古事記には名前ごと出てこないんですね。
| 読み | えびす(恵比寿・恵比須・夷・戎とも書く) |
|---|---|
| どこから来たか | 日本。七福神で日本の神はえびすだけ |
| 日本の神とのつながり | 蛭児大神(西宮神社)、事代主神(美保神社・今宮戎神社)、少彦名命(神田明神) |
| 縁日 | 毎月10日(西宮神社)、毎月7日(美保神社)。十日えびすは1月9日〜11日 |
| おもに祀る神社 | 西宮神社(兵庫県西宮市)、美保神社(島根県松江市)、今宮戎神社(大阪市浪速区) |
えびす様の中にいる神は、神社ごとに違う
名前が神話にないなら、えびす様は誰なのか。神社の公式サイトを順に開くと、答えが三つに割れました。
西宮神社は、御祭神を「えびす大神(蛭児大神)」と書きます。伊弉諾岐命と伊弉諾美命の子の蛭児大神が葦の船で流された話と重ねて、えびすさまと同じ神とされるようになった、という説明です。
島根の美保神社、大阪の今宮戎神社、栃木の大前神社は、事代主神。大国主神の子です。
東京の神田明神は、二之宮の少彦名命を「えびす様」と紹介しています。三つめの答えです。
京都ゑびす神社は、確認したページに御祭神の名前がなく、「ゑびす神」は七福神で唯一の日本生まれ、とだけ書いていました。

しかも西宮神社は「えびす宮総本社」、美保神社は事代主神を祀る全国3,385社の「えびす様の総本宮」を名乗っています。総本社を名乗る二社で、中の神が違う。日本大百科全書も、祭神を事代主命とする説と蛭児命とする説の両方がある、と書いていました。

お参りした神社の「えびす様」が誰なのか、境内の案内で見てみたくなります。
三柱とも、古事記では船に乗っていた
三つの答えはばらばらに見えます。古事記の中の三柱を読み比べて、共通点がひとつ見つかりました。三柱とも、海の場面で船に乗っているんです。
水蛭子は、伊耶那岐命と伊耶那美命が最初に生んだ子です。古事記はこの子を葦の船に入れて流した、とだけ書き、その先は語りません。名前が出てくるのは、生まれる場面と、「子の数には入れない」と念押しする場面の2段だけでした。
少名毘古那神は、大国主神が出雲の御大の御前(みほのみさき)にいたとき、波の上をががいもの実の船に乗ってやって来ます。誰も名前を知らない小さな神でした。
事代主神は、国譲りの場面です。天から来た使いに国を譲るか問われた大国主神が「息子の事代主神が答えます。ただ、鳥を捕りに、魚を取りに御大の前へ出かけて、まだ帰っていません」と返す。呼び戻された事代主神は国を譲ると答え、乗ってきた船を踏み傾けて、青柴垣の中に隠れました。

「御大(みほ)」の字を古事記の上巻で探すと、出てくるのは2段だけでした。少名毘古那神が流れ着く段と、事代主神が漁をしていた段です。えびす様とされる神のうち二柱が、同じ「みほ」の岬の場面にいる。國學院大學の注釈によると、日本書紀では同じ場面の地名が「出雲国の三穂の碕」と書かれています。
日本大百科全書は、えびすの語源を、よその土地の人を指す「夷」と考えられるとし、海の向こうから来る神、流れ着く神の性格が濃いと説明していました。漁村では、浜に流れ着いた丸い石を御神体にする所もあるそうです。
海から来るものを、えびすと呼んで迎える。そう考えると、三柱の誰が選ばれても、おかしくなかったのかもしれません。
事代主神の柏手が、商売の手締めになった
漁の神が、どうして商売の神になったのか。神社の説明は二通りありました。
ひとつは市です。西宮神社は、鯛と釣竿を持つ姿から漁業の神とされ、西国街道の宿場町で市が立ったことで市の神、そして商売繁盛の神になった、と説明しています。今宮戎神社も、四天王寺の西門に平安時代の後期から開かれた「浜の市」の守り神として祀られたのが始まりだと書いていました。
もうひとつが、美保神社の説明です。国譲りで事代主神が打った「天逆手(あめのむかえで)」が、いまの手打ち・手締め、一本締めや三本締めの起源だというもの。美保神社によると、手を打つ記述が日本の文献に初めて出てくるのが、この場面です。手を打って約束を交わす。それが、えびす様を商売繁盛の神として崇める理由のひとつになった、と。
古事記の原文は「天逆手」を青柴垣に打ち成して隠れた、と書くだけで、どんな打ち方かは書いていません。商談がまとまって手を締めるたびに、国譲りの場面をなぞっていると思うと、少し景色が変わったりします。
縁日は、毎月10日と毎月7日
西宮神社は、1月10日の十日えびすにちなんで、毎月10日をえびすさまの縁日としています。参道に店が並ぶ「十日市」は、1月と7月にはありません。十日えびすは1月9日から11日までの3日間で、今宮戎神社も同じ日取りです。
美保神社は毎月7日が縁日で、月次祭を「七日えびす祭」と呼んでいます。同じえびす様でも、西宮と美保で縁日の日付が違うんですよね。
今宮戎神社では、十日戎の福笹に結ぶ縁起物を「小宝」と呼んでいます。銭叺(ぜにかます)、銭袋、小判、丁銀、大福帳、打ち出の小槌、米俵、鯛などをひとまとめにしたもので、半分近くがお金にまつわる形です。
栃木の大前神社には、えびす様の霊威が宿るとされる「五行福銭水」があり、商売を始めるときや大切な取引の前に、種銭を清めるよう案内しています。財布に入れておく種銭のことは種銭の記事に書きました。
片足を曲げて座っている理由
えびす様の像は、たいてい片足を曲げています。美保神社には、そのわけを語る話が伝わっていました。
事代主神は夜ごと海を渡って対岸の姫神のもとへ通い、明け方に戻っていた。ある夜、鶏が時刻を間違えて早く鳴き、慌てて帰る途中で櫂を海に落とし、足で水を掻いていたところを鮫にかまれた。それからえびす様は鶏を嫌い、片足を曲げた姿になった、という話です。美保の里では、鶏肉や卵を食べず、鶏も飼わなかったといいます。
この話でも、事代主神は船の上にいます。
金運の神社をまとめた金運・商売繁盛の神様と神社では、えびす様を祀る6社の公式の言い方を表にしています。七福神の置物を並べる順番は七福神の並べ方へ。一列に並べるとき、えびす様が左端に置かれることが多いのは、七福神に加わった順が早いからでした。
古事記で水蛭子の名前が出てくるのは、2段です。事代主神は3段。少名毘古那神は、ががいもの船で来た段から、常世の国へ渡って去るまでの1段に収まっています。
参照した資料(2026年11月3日確認):西宮神社 公式サイト(西宮神社について、年中行事 毎月の行事)/美保神社 公式サイト(ご祭神・ご由緒、年間祭事)/今宮戎神社 公式サイト(今宮戎神社とは、よくある質問)/神田明神 公式サイト(神田明神とは)/大前神社 公式サイト(ご由緒・ご祭礼、日本一えびす様)/京都ゑびす神社 公式サイト(由緒、都七福神)/國學院大學 古典文化学事業「古事記ビューアー」(上巻 二神の結婚・伊耶那美の神避り・少名毗古那神との国作り・葦原中国平定④⑥⑦)/青空文庫 武田祐吉訳『現代語訳 古事記』/日本大百科全書「えびす」「七福神」(コトバンク)

